準富裕層と発達障害児

準富裕層、3児の父。準富裕層であれば発達障害児を救えるのかを検証するブログ。

発症56時間目にして腸重積発覚

【発症56時間目-労災病院で腸重積診断】

近所の小児科の紹介状をもとに、労災病院に長男を車で連れて行きました。すぐに診察と聞いていたのですが、実際は1時間以上待合室で待機しました。その間、長男は見る見るうちに弱っていき、ついにベンチに横になってしまいました。


ようやく診察を受けた時は19時。私は、これまでの診断結果は胃腸炎であったと医師に伝えました。紹介状に基づいて、すでに排便のための浣腸の準備が出来ていたのですが、念のためエコー検査しましょうと言われたので、検査をして貰いました。


エコー検査の最中、医師が「こんな酷い胃腸炎は初めてだ」と驚きの声を発するやいなや、「これは腸重積だ!それもかなり進行している」と伝えてきました。


医師はすぐさま応援の医師2人を電話で呼び出し、3人体制で治療方針を話し合っていました。話し合いは30分程度掛かり、その間私は腸重積は発症24時間以上経過すると致命的であるという事を思い出し、絶望的な思いに駆られました。


30分協議の末、医師たちからは、長男には高圧浣腸で腸を戻す手術を行う、高圧浣腸手術は99.9パーセントの成功率で、失敗した場合は開腹手術を行うという説明を受けました。99.9パーセント成功するなら大丈夫だな、と安堵し、手術準備の間に手術の同意や入院手続きなどを行いました。


高圧浣腸手術している間、妻に長男が腸重積と診断を受けたが、99.9パーセントは高圧浣腸で済む、失敗する確率は0.1パーセントに過ぎないとだけラインしました。ラインを送った後、フラグを立ててしまっている事に気付きましたが、まさか0.1パーセント側に本当に入ってしまう事になるとは想定しておりませんでした。


この他、手術中は労災病院内のまだ開いていたファミリーマートの店内を見回したりしてました。朝ご飯以降、お菓子として大判焼1つしか食べておらず空腹だったので、手術が終わったらお握りか菓子パンでも買おうとお気楽に考えておりました。


30分程で手術が終わり、再び診察室に通されました。そこで医師から「結論から言うと、腸は戻りませんでした」と告げられ、ようやく現実を知ります。そして、ここで大変珍しい小腸腸重積の可能性を指摘され、開腹手術しか手段が無いこと、しかも簡単な手術では無い事を告げられました。


私は気が動転しておりましたが、まだ2歳の長男も雰囲気で察したのか、大きな目をパチクリパチクリして心配そうにこちらを眺めて来ました。未だにこの時の恐怖と戸惑いの目が忘れられません。


この後、長男は病状悪化に伴い嘔吐。持参した替えの衣服、オムツ、ビニール袋、ウェットティッシュなどが本当に役立ちました。


小腸腸重積の手術は、近所だと昭和大病院でしか行うことが出来ず、先生の空き状況を確認するという事で30分程待機。待っている間、当たり前ですが医師たちはこの珍しい小腸腸重積患者や親族に対し感情移入する事など微塵も無く、むしろ症例としての話題が盛り上がっており、末恐ろしいまでのメンタルの強さを肌で感じ取りました。


こうして情報が多過ぎな中を待った末、本当に幸運にも、昭和大病院の先生が執刀医となる事に快諾されたため、再度、転院。今回は救急車に長男、労災病院の紹介状を持参した医師1人が乗り、その後を私が車で追いかける事になりました。


一応、病院側からは「道交法は守って、遅くならないように昭和大病院に向かって下さい」と言われました。先ほどのファミリーマートで何も食べ物を買わなかった事を後悔しつつ、自分の車を急いで発進させました。


長男たちを乗せた救急車を追い掛けている時の写真がこれです。


赤信号で引き離されて以降、救急車は全く姿が見えなくなってしまいました。手術の開始には親の同意書が必要なので、道交法は守りつつ急がねばなりません。


もし運悪く取り締まりに遭ってしまったら、事情を説明し、後日警察の取り締まりに応じよう。そんな気持ちで急いで行き、21時、無事に昭和大病院に到着しました。