資産の分水嶺を目指すブログ

アッパーマス、3児の父。不労所得のみで育児に専念する環境を作ることが目標。

ネット記事なんて嘘ばかり

ネット記事を書いている私がいうのも何ですが、ネット記事なんて嘘ばかりです。


お金持ちになるために必要なこと、みたいな記事で、節約、投資に励みましょう、というのはまだ良いです。しかし、お金持ちになるためにNHK受信料を拒否しましょうと言う記事なんて見掛けた事ありませんし、寧ろ、お金持ちになるためにはNHK受信料くらいはきちんと払いましょう、という大嘘記事すらゴロゴロしています。


何故、嘘が憚るかというと、NHK受信料を拒否しましょう、だと放送法を破ることを薦める記事であり、アフィリエイト審査に落ちる可能性があるからでしょうね。


こういう綺麗事ばかりの記事読んでいて楽しいとは私は思いませんね。動画もブログも黎明期は混沌としていて楽しかったですが、いつの間にか検閲ばかりで、判で押したような内容ばかりになりつつ有りますね。


ちなみに、私のNHKに対する見解は、この通りです。


要らないモノには1円も出さない。金持ちになりたいからです。そもそも韓国の宣伝テレビ局NHKなんて、自衛隊訓練の的に成れば宜しい。本気でそう思います。

子供発熱。あー、クソ。

明日はバイク車検、歯医者の予定でした。共働き子育て3人ですので、仕事閑散期のゴールデンウイーク中の営業日に狙いを定め、半年前からこの日がベストになる様に調整。


しかし、本日次女が保育園で発熱。発熱翌日は登園不可なので、明日は車検も歯医者も行けなくなりました。


あーーーー、本当にクソ。共働き、子育てって本当にその時点で詰んでる。自分の事すらままならない。ままならない中、1年に1回か2回、自分のための予定を入念に計画し、そのために育児、家事を死に物狂いでやって調整しても、その日に子供が発熱したら、全てしゅーりょー。



もう一度盛大に。あーーーーー、本当にクソ。

【書評】玉砕の硫黄島に生きた 混成第二旅団野戦病院

戦時中の医師、野口巌著、玉砕の硫黄島に生きた 混成第二旅団野戦病院を先日読みました。


硫黄島の戦いと言えば、日本屈指の有能将校である栗林忠道中将が有名でありその視点からの本や映画などは数多くありますが、この本は対照的に軍医として立ち会った現場目線からの視点がとても鮮明に描かれてました。


まず、この著者は軍医という比較的自由な立場であったことから、栗林中将や西竹一大佐といった、硫黄島の戦いのキーパーソンと話した事があり、その人柄を記したという点が特筆すべき事となっているのがこの書籍です。


9割以上戦死してしまった硫黄島にあって、栗林中将や西大佐に面会し、生き残り、本を出せるという人は、かなり限られた人でしょうからね。


また、病院長という立場でもあったため、如何にして部下の医師や衛生兵を死なせないようにするか苦慮する様子も良く描かれてます。例えば、病院を司令本部同様、地下三階建ての構造として、米軍の砲爆撃に耐えられる造りとする事を譲らなかった点などです。


この地下三階構造は、同様に硫黄島の戦いを扱ったテレビアニメ「決断」で、まさに「司令本部と病院は地下三階構造」という件のナレーションがあります。司令は全滅しているので、恐らく病院関係者が戦後に証言した記録がアニメに反映されたことと思います。


アメリカは上陸前に砲爆撃で島全土を焼き払いますが、日本軍によって巧みな地下要塞が張り巡らされて居たため、日本兵は全くの無傷だったそうです。多少、死傷者が出たのかと思いきや、そういう記録はこの本では確認出来ませんでした。意外です。寧ろ、米軍の砲爆撃にもすっかり慣れ、効果が出ない様子を見て無駄撃ちしてもったいないとか、そういう感情だったらしいですね。


いざ、米軍の上陸が始まると、沢山の負傷者が搬入され、現場は凄惨を極めます。しかも、本来は重傷者は本土に返されるところ、そういう手段も当然無いので、地下室に安置して置くしか方法が無いという事で、この地下病院は死臭を放つようになってくるそうです。しかし、それでも負傷者が追加で運ばれて来たり、他の場所でやられた部隊の生存者が逃げ込んで来たりして、当初、比較的余裕の有った食料も、人数が増えた事で不足気味になりました。


そして、ついに島のほとんどを占領され、病院のある地下壕の入口付近にも米軍兵が毎日偵察に来ては、帰る、を繰り返すようになります。医師はどうしたかというと、病院には食料もなく、味方の応援も期待出来ずに孤立したため、この米軍兵を地下壕から強襲する事にしました。これは上手く行き、米軍兵はあっさり逃げ出すとともに、沢山の食料、武器を入手し、数週間は生きられる事が出来るようになりました。


しかし、米軍は次の日もやって来たため、これを迎え撃つことに。ここでも米軍に損害を与える事が出来ますが、味方も1人射殺されてしまいます。こんな事が数日続き、味方がまた1人、また1人とやられてしまいました。


しばらく経った後、日本語で投降を呼び掛ける声が毎日のように聞かされるようになりました。当然、この時代は生き長らえるは恥。捕虜になることは売国奴扱いであり、この医師も名誉のために死んで当然、死ぬまで戦う事は当たり前という考え方でした。また、海軍や陸軍が応援に来るから、それまで持ちこたえれば形成逆転出来るという事を聞いて居たため、最後まで戦うつもりでいました。


しかし、いつまで経っても海軍、陸軍の援軍が来る様子も無く、硫黄島は見捨てられた島であると思われ、死ぬ必要は無いような気がして来た事や、部下まで死なせるのは忍びないので、何とか死なずに済む方法は無いか考えます。そして、赤十字条約によって、病院は護られる存在であり、投降しても捕虜にはならない事を医師は思い出します。ただ、先日、米軍兵を襲撃した事はどう判断するかが課題になりますが、これもやむなく戦闘に巻き込まれて戦わなければならない時は戦っても良いという事が条約には書いてあり、その事を交渉材料に、ダメ元で投降。


投降は米軍に受け入れられ、更に捕虜としてではなく、病院としての扱いを約束されました。米軍キャンプに護送された時、米軍兵は夕食時にジャズを聞きながら豪華なレーションを食べており、地下壕で空腹の中戦っている日本軍との違いを思い知る事になります。


この医師はその後、米軍の要請で沖縄戦の最中の病院赴任を依頼され、日本人医師として日米両軍の負傷者を手当てする事になります。しかも、米軍医師よりも日本人医師の方が遥かに手術が上手く、米軍の医師のみならず、高級将校などインテリ層から尊敬され、ニューヨークタイムズはじめとした米国紙を読む事すら許されてしまったそうです。


ある時は、米国医師の1人がニューヨークタイムズを手に、「ここにあなたの事が記事になってますよ」というので見てみると、何とこの沖縄戦の米軍キャンプで働く日本人医師の活躍が特集記事として掲載されてました。


こうして、数奇な運命の下、この医師、および多くの部下は硫黄島、沖縄戦という激戦地を経験し、生還しております。沖縄戦の米軍キャンプで働く日本人医師が居た、という事は私の知らない歴史でした。


以上がざっくりとしたあらすじ、書評です。この時代からすると戦死せずに帰る方法を考えるという事はとても珍しい事ですが、著者は高等教育を受けた医師であり、英語で情報を集める事も出来たため、硫黄島に居ながらもラジオや無線でほぼ正確に日本軍の不利を把握出来てた事も大きいです。このため、今、死ぬことは無駄死になるという結論に至る事が出来たようです。


戦時下は、半ば強制的に思想も変えられてしまい、それが恐らく異常であるという事を理解する事すら難しくなると思いますね。


ちなみに、大正時代生まれの男性の死因1位は戦死であり、何と5人に1人が戦死しております。本当に大外れの時代ガチャを引いてしまった世代が大正時代生まれの男性ですね。


私は氷河期世代であり、これはこれで悲惨です。同じ外れの時代ガチャを引いてしまった者から申し上げると、大正時代生まれの不運な世代の方々に対してはその苦労を共感しますし、尊敬します。この時代の人たちが戦中、戦後の日本を一生懸命作ってくれた人々です。


一方、昭和初期生まれ、特に団塊世代は朝鮮戦争特需、人口ボーナス、冷戦によるショーウィンドウ(アメリカによって西側諸国の素晴らしさを東側諸国にアピールするため、日本は経済発展のテコ入れをされ、好景気を演出させられていた)という、ローマ帝国最盛期に比肩するイージーモードの時代を生き、食いつぶし、自分たちの贅沢を続けるために氷河期を犠牲にした世代です。この世代が、本当の戦犯だと私は思います。


私は書物によって、大正時代以前の人の生き方を知りたいのです。