資産の分水嶺を目指すブログ

アッパーマス、3児の父。不労所得のみで育児に専念する環境を作ることが目標。

長男は、珍しい小腸腸重積でした

親御さんならば、恐れるべき病気である、乳幼児の腸重積。早期発見が困難な上、発症から24時間以上経過すると途端に腸が壊死し、生還率が極めて低くなってしまう病気です。


今回、長男を瀕死に追いやった病気もこの腸重積でした。腸重積自体、発症率は0.2パーセント程度で比較的珍しいのですが、そのほとんどが大腸の腸重積です。一方、長男はかなり珍しい小腸腸重積でした。


また、腸重積発症日は、私が半年間取得した育休が終わり、出社の初日でした。いきなり不運が重なり、死へのカウントダウンが奇跡的な確率で始まってしまいました。


この記録を留めて置こうと思います。長いので何回かに分けて書き記します。


【発症2日前】

この日は長女の希望でお昼に洋食屋のナポリタンを食べた後、おやつにサンドイッチとポテトチップを子供達に与え、長男も通常通り食べました。


途中、ゲームセンターにも行きましたが、店内が暑く、長男は不機嫌になり、ゲームをやめて玩具を見ていました。少し身体が暑かったため家に帰って検温したところ、38度ありましたが、すぐに平熱に戻ったため、偶発的な発熱で問題無いと考えました。


【発症1日前】

朝から長男に健康上の問題は観察されず、ソーセージ、ゆで卵、牛乳を口にしたため、保育園登園。いつも通り遊びなどをしていて園でも異常無し。


この日は私が会社の飲み会で23時帰宅でしたが、それ以降、長男は翌朝まで問題なく過ごしてました。恐らくこの日の保育園での排便が症状前最後の排便となりました。


【発症日】

朝はやや不機嫌だったものの、朝ご飯としてソーセージ、牛乳を口にし、平熱でした。私は長女、長男を保育園に預け、育休明け初日として出社。


登園直後、保育園から嘔吐有りという連絡が妻にあり、妻が家で長男を終日看病。嘔吐の頻度が尋常ではなく、10枚以上の布団、シーツを汚しました。


今考えると、この日の10時に腸重積発症と思われました。


妻は近所の小児科に掛かるも、その時の診断は胃腸炎とのことで、嘔吐止めなどの薬を処方されたに留まりました。ただ、診察時、明日、具合が悪いのが続くならば、大病院への紹介状を書きます、と妻は伝えられてました。


夜間、30分毎の頻度で嘔吐を繰り返し、嘔吐止めは効果無し。汚れた布団やシーツの後処理に一晩中追われ、頭が働かなくなってきました。


【発症2日目】

長男が一晩中嘔吐を繰り返したため、育休明け2日目で心苦しくはあるものの、私は会社を休みました。外は30度越えで赤ちゃんが外で過ごせる気温では無かったため、妻は赤ちゃんである次女を家でお世話し、私は長男を連れて再度同じ小児科に掛かりました。


嘔吐が止まらない、便が出ない、顔色が悪いなど伝えたところ、再度胃腸炎と診断された事に加え、新たに脱水症と診断。点滴を受けました。


3時間の点滴を大人しく受ける長男


点滴により血糖値が60から120程度に回復し、顔色も良くて意識もしっかりしていたため、問題無しと判断され、医師からは家で様子見の指示を受けるに留まりました。この判断が極めて危ういものでした。


この時点で、妻が「具合が悪いのが続くならば大病院へ紹介状を書きます」と前日言われてたはずが、紹介状を医師は発行せず。また当日来院した私も紹介状の約束があったとは知らなかったため、点滴だけで戻ってきてしまいました。


私と妻は家に帰ってから前日からの嘔吐物の処理が大量にあり、その洗濯や廃棄などに追われておりました。長男は点滴で一時的に体調が回復して顔色も良く、テレビを観たり本を読んだりしていたため、安心し切っておりました。


ただし、この3日間、便が全く出ない。便が出ないという事は嘔吐するしかないのです。夜寝る時間になり僅かな麦茶やOS-1も口にした直後、アオサ海苔や海苔の佃煮を水で薄めたような嘔吐物を吐き続けます。この時から時々長男は「お腹痛い」と小声で苦痛を訴え始めます。


前夜同様、一晩中嘔吐を繰り返し、その度に嘔吐物の処理や胃腸炎がうつらないように長男と他の子の寝る位置を離したりしました。


夜中、私は一瞬だけ腸重積を疑いましたが、腸重積にしては苦しむ様子が劇的ではないことでその可能性を排除してしまいました。また嘔吐物の処理が忙しく、2日間ほぼ徹夜で長男のケアをしていて、疲労困憊。そのためか、腸重積の可能性を疑った事すら完全に忘れてしまっておりました。


既に腸重積発症48時間経過。とても長かった3日目に続きます。