準富裕層と発達障害児

準富裕層、3児の父。準富裕層であれば発達障害児を救えるのかを検証するブログ。

腸重積3日目、救急車帰る、小児科再々診

長男の便秘、腹痛、嘔吐などが激しく続いていたものの、まだこの頃、腸重積であるという事に医師も我々も気付いておりませんでした。


【発症48時間目-小児科が受診受付してくれない】

長男と次女は妻に任せ、私は長女を保育園に送り、私はそのまま出社。前日に急遽休んだため、休暇手続きをした上で、業務を行ってました。


私は異動後間もなくで、他の人から教わっている状態です。育休明けに早速休んだ事で居心地悪かったので、一応、一生懸命仕事に取り組んでました。しかし、長男の容態も気になるので、15分ごとに妻からのラインが着ていないか確認しておりました。


10時30分。妻からのラインでは長男は小康状態だが、腹痛を訴えるため念のため小児科に電話した。しかし、今日は患者が多く受診予約を受け付けてくれない。2日間診察受けてて治らないのに取り付く島もない扱いは失礼だ、と言う内容のメッセージとともに、帰ってくる必要は無さそうという事が書かれておりました。


【発症50時間目-救急車が帰ってしまう】

12時30分。長男の嘔吐が激しすぎ、顔色も悪いため救急安心センターの7119に相談し、救急車を手配。男性救急隊員3名が訪問するも、長男は顔色が回復して元気そうであったため、救急車はアドバイスのみ残し、帰還。とラインが着ていました。


(ちなみに、これは腸重積の典型的症状で、顔色が非常に悪くつらそうな時と、顔色が回復し元気な時を繰り返します。もし救急車が来た時、顔色が非常に悪ければ、早く治療を受けられたかも知れませんが、それは別の運命だったかも知れません。)


妻は救急隊員のアドバイス通り自宅で浣腸を試みるも、腹痛の原因と考えられた便は排出出来ませんでした。


【発症54時間目-小児科再々診】

まだ妻からは戻って来て欲しいとは言われてませんが、事態が尋常では無かったため、心苦しくも育休明け3日目にして2度目の休暇を上司に申請。帰宅路で、なかなか受診予約を受け付けない小児科に寄り15時30分頃に他の人の診察と診察の隙間に長男の診察を入れて貰う事を確約して貰ってから帰宅しました。


帰宅後、長男を抱えて早歩きで1キロ離れた小児科に行き、15時40分にようやく再々診を受けました。ただ、この小児科では長男はきちんとお座りしてテレビを観ていたため、とても病人には見えませんでした。


しかし、本当に幸運な事に、この時、腸重積発症以降初めて38度の熱が出ました。これに加え、便が兎に角出なくて苦しそう、顔色が非常に悪い事を伝えると、医師が腸に便がガチガチに詰まって居ることを確認。その場で浣腸により排便する治療を行うと方針を示してくれました。


ここで、浣腸は自宅でも行ったが排便はされなかったと伝えると、医師が労災病院宛てに紹介状を作成するとともに、すぐに車で向かうよう指示しました。


会計を手早く済ますと、自宅までの1キロを走って帰宅。ただ、長男を抱えていたため、ほとんどジョギング程度の速度でしたが、兎に角一生懸命走りました。喉カラカラ、節約のため、日頃昼ご飯も食べていないので突然の運動で一気に飢餓感に襲われました。


1日程度の入院くらいはあるかも知れないと考えていたため、長男のお着替え、オムツ、嘔吐物処理用のウェットティッシュ、ビニール袋、携帯電話の充電器、水筒に麦茶1リットル分を準備して車に乗り込みました。これらはどれも本当に役立ちました。


しかし、呑気にもまだこの時は腸重積を予測しておりませんし、この後の事態を想定だにしていなかったので、昼ご飯を抜いた空腹を満たすために口にしたものは冷凍庫にあった大判焼1個のみ。食糧らしい食糧も持たずに長男を連れて労災病院に向かいました。


抹茶の焼き印なのに、何故かレモンクリームが入っていた大判焼。

これが、これから起こる試練前、最後の食糧。



ちなみに、この時私は、長男の便を労災病院なら、排出してくれる。便秘さえ治ればすっきりして嘔吐も無くなる、とだけ考えておりました。