資産の分水嶺を目指すブログ

アッパーマス、3児の父。不労所得のみで育児に専念する環境を作ることが目標。

土光敏夫さんの無罪は質素な暮らしから明らかだった逸話

経団連の会長を勤めた土光敏夫さん。この方の存在を知ってから、生活に贅沢さや見栄は一切不要だと学びました。


この方の質素ぶりは徹底しており、何十年も同じ服、靴、ベルト、帽子を着用し、服に穴が空いたら縫って直し、直せなくなったら雑巾として再活用し、最後にようやく棄てる、という生活だったそうです。


様々な逸話が残ってますが、私が一番好きな話は、贈収賄を疑われた疑獄事件で、政財界に大規模な捜査が行われた時の事です。当然、有力者の土光さんも疑われ、捜査のメスが入ろうとしてました。


この時、検察官が捜査のため、土光さん宅を朝早く訪れた訳ですが、すでに出勤しており、代わりに対応した奥さんが「夫ならいつもバスで出勤しておりますので、バス停に居ると思います」と言ったそうです。


検察官は急いでバス停に向かうと、果たして土光さんがバス停でバスが来るのを待っていました。この時、検察官は土光さんの無罪を確信したそうです。


こういう風に、圧倒的に権力の有る人が無駄を嫌って社用車にはほとんど乗らず、公共交通機関を利用するというのは、生き様としてとても尊敬出来ますね。土光さんは徹底的な合理主義を労働者に求めた経営者ですから、まずは隗より始めよ、の精神が恐らくあったため、質素も当然だと考えていたと思います。


土光さんの逸話で、質素や倹約は正しい、と私は思いました。


そんな私も2年履いたズボンがほつれ、一度は棄てようと考えて居たところ、土光さんを思い出してほつれを直し直しして、結局5年履きました。最後は尻に穴が空き、流石に妻にダメ出しされてから棄てましたけどね。でも、物が機能を完全に失うまで使うのは、精神的になんと満たされる事か知りました。


長く使えば使うほど節約になり、しかもボロズボンなら子供の砂遊びにも滑り台にも余裕で付き合えますからね。これがブランド品のズボンなら高いわ、惜しくて公園遊びに使えないわで良いことがありません。コーヒーこぼしたらお仕舞いですしね。


服以外でも土光さんは質素で、めざしを好んで食べたとも言われてます。めざしなんて不味くて食べれたものなのか?と昔は思ってましたが、数年前、半額品のめざしが売られてました。そこでめざしを買って食べると何と美味しい事かと目覚めました。


めざしはアンチョビを好きな人ならば絶対はまる旨味があります。150円程度で買えるめざしに、ここまで深い味わいがあるとは思ってませんでした。この体験で、物の価値は必ずしも金額の大小ではないと学びました。


お金を余り使わない事で得られる信用、満足、精神的充足はかなり大きいです。お金を使わない、という行為は本来、気持ちよいものかも知れません。むしろ、お金を下手に沢山使うから信用を失い、不満を覚え、精神的にも枯渇するのかも知れませんね。