準富裕層と発達障害児

準富裕層、3児の父。準富裕層であれば発達障害児を救えるのかを検証するブログ。

命掛けの避難は、物、動物は諦めるしかない

先日の羽田空港での事故で、飛行機内の犬猫を見捨てた、ということで非難めいたニュースがありました。


命掛けの避難のときは、犬猫や物を諦めないといけない。これは戦訓でキッチリありまして、それは太平洋戦争のキスカ島撤退作戦です。


キスカ島は、アリューシャン列島にある島で、冬の激しく荒れた気候から、絶海の孤島と呼ばれてました。何故、こんな島を日本軍が占拠したかと言うと、ハワイやロサンゼルスなどへ向かう最短航路の寄港地となったからです。


しかし、戦争で敗色が濃くなり、ハワイやアメリカ本土に艦隊で攻撃するのは不可能となり、キスカ島が寄港地として使われる事は無くなり、戦略的価値が無くなりました。


それに加えて、すぐ隣のアッツ島では、5,000人もの将兵が玉砕。日本軍の玉砕は、このアッツ島が初めての事でした。


こうしてキスカ島に孤立する事となった6,000人の将兵は、物資、食糧が不足する中、アッツ島と同じく玉砕するしか無い運命に陥ったのです。


そこで、キスカ島から将兵を撤退する事を日本軍は決定します。その時、この北方の陸軍司令官は樋口季一郎中将(恐らく、日本陸軍で一番優秀、有能)。


本当に素晴らしい方です。樋口季一郎について語ると、それだけでブログ記事になってしまうので今回は割愛しますが、戦前、戦中、戦後とソ連以外の世界中から尊敬され、また、北海道をソ連から守り抜いた方です。この方の右に出る陸軍軍人を私は思い浮かびません。


キスカ島からの撤退は、海軍に頼るしかありませんので、川瀬中将に陸軍は打診。作戦の責任者は決まったのですが、その人が病気で倒れたため、急遽、木村昌福少将(超優秀)が代わりに任命されます。


このヒゲが男前の方が木村昌福少将です。


樋口と木村コンビ。撤退作戦が上手く行く事しか想像付きません。


こうして木村昌福少将は、駆逐艦艦隊でキスカ島救援作戦に向かうのですが、アリューシャン諸島には米軍の機動艦隊や米軍基地からの敵機来襲が脅威であり、発見される事は即ち駆逐艦艦隊全滅を意味してました。


無事救援任務を完了するには、アリューシャン諸島が7月までの期間濃霧が発生しやすいという気象条件を活かし、濃霧に紛れながらキスカ湾を目指す、という事が必要でした。しかし、7月中旬の作戦では幌筵(ほろむしろ)から出発して暫くすると霧が晴れてしまいました。


この時、木村の部下は全滅覚悟でキスカ湾を目指す事を進言したのですが、木村は「帰ろう、帰ればまた来られる」と言って撤退しました。


作戦中止、帰投後、木村は軍上層部に罵倒される訳ですが意にかえさず。7月下旬、再びアリューシャン諸島が濃霧に覆われた事を確認してからキスカ湾を目指します。


この時、非常な幸運が起き、常時キスカ島を監視していた米軍機動艦隊にレーダーの誤作動が起こり、確認作業のためキスカ島を離れました。たまたま1日だけキスカ島の監視が全く無くなったのでした。


この奇跡の1日に木村少将率いる駆逐艦艦隊は無事キスカ湾に到着します。撤収は速やかに行わないと米軍機動艦隊が戻って来るかも知れません。樋口中将は予めキスカ島の部隊に武器弾薬を海中に放棄して速やかに撤収出来るように指示しており、1時間足らずの短時間でキスカ島から撤収に成功します。この時、撤収に邪魔な軍用犬4匹も置いて行かれたそうです。


後日、米軍はキスカ島に上陸しますが、そこはもぬけの殻。何も知らない米軍兵士同士で誤射が相次ぎ、100人以上亡くなります。挙げ句の果て、気を利かせた日本人軍医が悪戯目的で作成していた「ペスト収容所」という看板を観て米軍は混乱。慌ててペストワクチンを発注します。


兎に角、キスカ島からの撤退は大成功。これは本当に素晴らしい作戦で、戦後事情を知った米軍は絶賛したそうです。


ただ、日本軍はそうではありませんでした。小銃の海中放棄を命じた樋口中将を厳しく非難した富永恭次中将(無能)。


あれ、この人、フィリピンマニラの戦いで住人を巻き込み、10万人死なせた人です。時系列としては逆ですが、再登場ですね。地位だけ高い無能は常に無能である感じです。


命掛けの撤退は、持ち物、動物を諦めて避難すべきだという事を樋口中将(有能)は言っており、そして成功してます。しかも、現場をきちんと指揮しての事です。


一方、命掛けの撤退にも関わらず、持ち物も持ち帰れと富永中将(無能)は言ってます。しかし、遠くからヤイノヤイノ言うだけで、指揮してません。


羽田空港事故で、動物や荷物が犠牲になったのは確かに残念ですが、しかし、過去の歴史に学ぶと、今回の事故対応、避難は完璧であり、これに文句言う人は明らかに愚かな事を言っていると考えるべきでしょう。