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アッパーマス、3児の父。不労所得のみで育児に専念する環境を作ることが目標。

本当に上司が素晴らしければ、死ぬことはやぶさかでない

第二次大戦は、日本の悪い所が凝縮されており、それが現代でも全く変わらないから面白いですね。


アメリカ軍の師団や原爆を何ダース用意しても勝てないくらい日本人、日本軍の兵士を殺したのは、陸軍3バカといった愚将たちです。


面白いのが、こういう愚将たちはどれも現場から遠く離れた所で無茶苦茶な作戦を指示し、自分たちは酒、女に明け暮れてたのですよね。そのせいで例えばインパール作戦では3万人もの餓死者を出しました。そして、戦争が終わると自己弁護して逃げ回り、責任などとりません。


上司がアホだと悲惨な好例です。亡くなった日本の兵士たちは本当に救われません。


第二次大戦では最悪な人間が上層部で固められたために起きたと私は考えますので、こんな戦争で死ぬのは悲劇以外の何物でもありません。しかし、栗林忠道、山下奉文、樋口季一郎など、この上司の元なら死をも厭わず戦えただろうな、という将校も少なからず居ます。


今回は、ちょっとマイナーですが、タラワ島の戦いでアメリカ軍から悲劇、死のタラワと恐れられた戦いの指揮で有名なった司令官、柴崎恵次少将の話です。



タラワ島は、島と言っても環礁なので、幅が恐らく1キロメートルも無く、島の全てが艦砲射撃の射程内という絶望的に守りに向かない島です。柴崎少将着任前から地下要塞の建築は進んでおり、柴崎少将自体は戦闘指揮の為に着任した形です。


アメリカ軍の上陸作戦が始まると、日本兵の負傷者が続出。地下要塞以外の島全てが艦砲射撃に曝される危険な状況で、柴崎少将は地下要塞の最も安全な司令室を病院として扱う様に決定。負傷兵を安全な司令室に運び込ます。


その代わり、柴崎少将ら将校は簡易的な防空壕に退避するのですが、残念ながら艦砲の直撃で、戦闘初日に戦死しました。司令官が死ぬと普通は士気が下がり散り散りになるはずですが、この戦いでは逆に、兵の為に司令官が犠牲になったのだから、最後まで戦おう!と最後の最後まで頑強に戦ったらしいです。


電話線や地下トンネルで島は張り巡らされており、日本軍の反撃も連携が取れた非常に的確なもので、アメリカ軍は苦戦。最後は電話線やトンネルが破壊され尽くして連携が取れなくなり、弾薬も尽きて負けるのですが、アメリカ軍はずっと「優秀な司令官が指揮を取っている」と思っていたそうです。


もしこの島の司令官が先の陸軍3バカのような卑怯者だったらさっさと逃げてしまっていただろうし、こんなに頑張って兵士たちも戦わなかったはずです。安全な司令室を傷病兵に譲る、という人間性に兵士たちが鼓舞されたから、こういう戦いが出来たと思います。


面白い事に、柴崎少将だけでなく、戦争で奮闘したのは人格者で部下思いだった将校指揮の戦いばかりです。そして、戦いで大敗した(=餓死、病死、輸送中での水没が9割を占める)のは、理論だけで現場を観ず、卑怯で臆病だった将校に起因する事ばかりなのですよね。


戦争が経済活動という形に名前を変えましたが、現場を無視する上層部という事は今も全く変わってないのではないでしょうか。自分たちはゴルフに海外視察に贅沢三昧し、若い世代は絞り取るだけ絞って疲弊させる経営者を観ると、本当に今も全く変わってませんね。


私がもしこのタラワ島の戦いに参加する兵士だったら、確かに死ぬのはつらいですが、死は惜しくなかったと思います。クソな上司ならテキトーで良いと思いますが、本当に上司が素晴らしければそれに報いたいですね。